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会長の部屋

随想録

2018年11月30日

海外生活での思い出(タイ編ーその3)

仕事場は国際色豊かであった。お客は当然ながらタイ人。そして私たち日本人。それから、国際調達の観点で必要な機材を調達し、その据付や試運転等にきた各国の指導員たち。

イタリア人、アメリカ人、ドイツ人、デンマーク人等々。この中で、ちょっと長い滞在となったデンマーク人(確か名前がアンデルセン)が奥さんを連れて来ていた。私たち日本人はみな単身赴任であり、このような現場に家族は連れてこないと思っていたものだから、彼にちょっと聞いてみたことがある「なんで、奥さんを連れて来ているの?」と。そうするとえっと思うような返答が返ってきた。彼らの国では、3か月以上離れて暮らすと離婚訴訟の対象になり得るとのこと。夫婦は一緒に暮らすのが当たり前であり、義務でもあるということなのだろう。「へえ~、そうなんだ」と文化の違いを実感した。

正月休暇、確か4,5日あったと思うが、のとき、みんなでマレーシアとの国境に近いハジャイという町に出かけた。ツンソンからマイクロバスで延々と南に走った。確か、9時間くらい?かかったと思う。途中、道の近くではエビの養殖場が延々と続いていた。日本のスーパーで売られているタイ産の大型エビを養殖しているところだ。その数と規模はすごかった。ハジャイは、マレーシアから買い出しに来ている人々もたくさんいて、とても賑わっている町であった。正月ということもあり、その賑わいも何か明るい雰囲気を醸し出していた。正月まつりは、だれかれとなく水を掛け合い、また顔に白い粉を塗りたくるというものであった。私たちもその洗礼を受け、水をかけられるは、顔に白粉を塗られるはと、でも楽しい町であった。

ツンソンでの仕事は2年くらいで完了したが、その間、首都バンコックの北部で動いていた別のプロジェクトにも時々参画していた。そのプロジェクトは世界1の生産量を誇る規模で日産1万トンのセメントを生産するというもの。この規模は、いまだに世界1だと思う。日産1万トンのセメント生産というと、一日に1億円のセメントを作るということ。すべての機器が最新鋭でしかも大型。醍醐味のあるプロジェクトであった。ただ、そうであるがゆえに色々な技術的問題も発生し、その対処にも苦労があった。

ツンソンからバンコックに行って感じたことは暑さだ。緯度からいえば、バンコックの方が北に位置するので気温が下がるように思うのだが、バンコックはコンクリートジャングル。一方でツンソンは自然が作り出しているジャングル。人工物の悪影響を肌で感じた。

色々な苦労もあったが、楽しい時間を謳歌できた赴任国であった。

次は、インドネシアに飛んでみる・・・続く

有田 信二郎