会長の部屋(随想録) - 宇部市社会福祉協議会:音声読み上げ対応ページ

<海外生活の思い出(香港とアラブ首長国連邦 その4)>
もう一つ、生活の中で思い出深いことがある。1980年頃の海外現場での生活には、会社も色々な配慮をしており、私たちのフラット(その2参照)の食堂は、レストラン様のものであった。日本人の料理人が、毎日豪勢な料理を提供してくれていた。ビフテキ、大きな魚料理、たまに日本食も・・・。でも、このような料理は、飽きてくる。一時帰国で自宅に帰った際に家内にそのことを話し『家の料理は飽きるという感覚はないのはなんでだろう?』と問うと、「冷蔵庫を開けて、あるもので適当に料理するからでは?」との返答。妙に納得した次第。それから、家内と一緒に買い物に行った際の出来事。イワシが皿に山盛りで売られていた。それを見て『今晩これにしよう!』続けて『今日は御馳走だね』というと、家内から「恥ずかしいから大声で言わんといて」と。確かに、その頃のイワシは1匹10円程度だった。でも、帰国したばかりの私には焼いたイワシは御馳走であった。
話を戻して、現地での生活。毎日決まって夜の9時か10時頃になると停電していた。日本では電気はあって当たり前であるが、アラブでは停電して当たり前、つまり計画停電だ。2時間くらいは切れていたと思うが、30分もすると冷気が熱気へと変わり、汗だくだくの状態。海岸に近いので湿度が高く、汗が乾かない。1990年後半にはサウジアラビアにいたが、湿度に関しては対照的だった。今、これを書きながら当時の暑さや汗だくだくの仲間たち、そして外に出ると匂ってくる独特の匂いを思い出している。
もう一つ、当地は夜になると正に真っ暗で、夜空で星たちが所狭しと輝いていた。日本でも星座を探したりするが、その夜空を見て、星座を名付けた訳がわかったような気がした。本当にすごい数の星たちが自己を主張したり、寄り添ったりしていた。ある日、食堂のフラットから宿舎へ歩いて帰っている時、電柱にぶつかってしまった。星たちがきれいで、それに見とれていた為で、今でいう"歩きスマホ"だった。痛さは忘れたが、輝く夜空は記憶にある。(続く)
2018年1月5日  有田信二郎