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会長の部屋

随想録

2020年06月08日

私が働いた時代(その1)

今年でちょうど70歳になる。昔言葉では古稀、よくぞここまで生きて来られたものだと思っている。振り返れば、色々な節目があり、時には身の危険を感じることも多々あった。それら全てが、今では良き思い出となっている。
これから何回かに分けて、私が体験した働く場での時代変化を書き綴ってみよう。

大学3年の時に職場実習で宇部興産にお世話になった。地元企業であることが最大の理由で、確か3週間くらいの期間だったと思う。専攻が機械工学だった関係で、設計部門での実習となった。出社初日にビックリするものに出会った。その物は"手回し計算機"、私の年代以上の人にはご存知の方も居られると思うが、掛け算等の計算をするためのもので、それまで手計算や学校での計算尺しか知らなかった私にとって、何と素晴らしいものという感じの機械(正に"機械"というイメージの物)であった。使い方は忘れたが、確か右端にあるハンドルをクルクルと回し、"チン!"という音がしたら一回転戻し、次に進むというものだったと思う。その一年後に宇部興産に入社し、同じ職場で働くことになったのだが、その時にもまだ現役で使われていた。私の配属先は減速機設計部署であった。大学の卒論研究が歯車の破壊関連であったため、この設計部署での職務が始まった次第。
働き始めてすぐの事だったと思うが、私たち設計担当者にとって画期的な商品が発売された。それはシャープ製の電子卓上計算機(今の電卓)、四則計算のみならず色々な関数計算ができるという技術者にとっては夢のような代物。大きさも手のひらサイズで、キーを打てば即座に答えが出てくる。ただ、金額が高かった。当時の月給が6万円で、それと同額であったが、技術者にとっては是非とも欲しいものであり、私を含め多くの方が月賦で購入したものだ。今では数百円で当時以上の機能を持った商品が買え、時の流れを感じる。

有田 信二郎