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会長の部屋

随想録

2020年06月23日

私が働いた時代(その3)

もう一つ、画期的なものが現れた。それがデジカメである。

海外プラントビジネスに携わっていた私にとって、海外(現場)と日本(職場)の通信方法は大きな課題であった。初めて海外の建設現場に出たのは1979年であり、その頃の通信方法はテレックスであった。ご存知の方もあろうが、これはモールス信号のようなもので、文字をパンチ穴に変換したテープ(1~2cmくらいの幅の紙製テープ)を作成し、電話回線を使って送受信するというもの。電話という音声による情報伝達以外の文字伝達方法として当時は活用されていた。1980年代に入るとファクシミリというものが出現し、時代が大きく進んできた。何と、手書き文字が送れるという摩訶不思議な代物。いまだに冗談話で出てくるが、スルメイカを送ろうとしたということもあった様だ。当然ながらファクシミリでは絵や写真も送れ、それまで言葉で説明するしかなかった技術的事柄もイラストや写真を入れてより具体的な表現が可能となってきた。ただ、残念ながら画像が粗く、色も白黒のみであった。次なる転換点は1980年代終わり頃にやってきた。電子メールである。今ではe-mailとして当たり前に使われているが、当時の私たちにとってはとても有難い情報伝達方法であった。FAXでは不鮮明であった画質が大きく向上し、またパソコン通信で簡単に送受信できるという優れもの、時代の進化を感じたものだ。最大の変化は、1990年代中頃に出てきた上記のデジカメの出現であった。写真画像がカラーのまま鮮明な画像で送受信できるという夢のまた夢的なものである。1994年にカシオが発売したQV-10がそれだ。これを知った瞬間、職場でもすぐに購入すべしと動いた。確か3台くらい手に入れたと思う。海外の現場で問題が発生した時は必ず出張者にQV-10を持参させ、写真を電子メール添付で送信させる。これにより、現場で何が起きているのかがより正確に判断できるようになった。例えば、歯車の歯が破損したとする。そこで重要なのは、破損の仕方なのである。破断面がどのような状態なのか、歯表面の状態はどうなのか、どの位置に破損が多いのか、等々、技術者として必要な情報がデジカメ画像から得られる。これが時代を大きく進ませるきっかけとなったように感じている。

有田 信二郎