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会長の部屋

活動日記

随想録

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2025年8月19日

戦後80年

戦後80年、長い時が流れた。節目の年として報道等でも大きな話題として取り上げられている。戦後生まれではあるが、子供の頃にはまだまだ戦争の傷跡を目にしていた。ただ、親たちからは戦争の実体験をあまり聞いた記憶がなく、想像ではあるが辛く厳しい話はしたくなかったのだろう。ただ、厚東川の対岸にある油化工業(現、協和発酵の地)が爆撃されたという話は聞いた。その名残なのだろう、我が家の近くには爆弾により大きく抉られた所に水が溜まった池があり、釣りを楽しんでいた記憶もある。小学校高学年くらいになるとプラモデルも出てきて、戦艦大和や戦車、戦闘機なんかも良く作っていた。爆弾投下の主役であったB29爆撃機もその一つ、今思えば親たちはどのような思いで子供が作る敵国爆撃機を見ていたのだろうか。両親は既に他界しているので確かめることは出来ない。

有田 信二郎